原題は”Insta-Brain”と単純にスマホだけでなく、インスタント(瞬時に)反応してしまう脳ということでタブレットやデジタルデバイス全体との関係性についての警告を上げている一冊になります。
- スウェーデン人の9人に1人、100万人以上が抗うつ薬を処方されている
- 90年代と比べるとこの数は5~10倍の数にまで増えている
- 現代人は毎日平均4時間はスマホを使っており、10分に1回はスマホを触っている
といった中々に衝撃の数字が冒頭から紹介されていて、生存確率を高めるために進化してきた人類の脳がどのようにスマホに反応しているのかを追求していきます。
集中力を奪うポケットサイズのデジタル機器
マルチタスクは限られた集中力を阻害する
車を運転しながらパートナーにテキストをしたり、Youtubeを画面の上部に写しながらインスタのフィードを見たりと、どこにでもつながるこのデジタル機器は日々私達のマルチタスクを加速させていきます。このマルチタスクに脳はどのように反応しているのでしょうか?
人間が一つのタスクから別のタスクに移行する際、前のタスクに脳の集中が一定期間取られてしまう(素早く切り替えられない)注意残余と呼ばれる現象が起こります。この注意残余のせいで、前のタスクから新しいタスクに完全に集中できるようになるのに、何分もかかっているのです。
つまり定常的にマルチタスクを行うことで人間は常に集中を失った状態で時間を過ごすという、非常に非効率な状態に陥ります。ではなぜ人間はマルチタスクを好んで行うのでしょうか?
危険を察知するために情報に敏感になる
太古に遡ると新しい情報というのは我々の生存確率を上げるものでした。獲物の情報や気をつける狩猟エリアの情報など情報を得ることは人類の生存力を高めてきたため、新しい情報に触れた際、その情報を確認するように僅かながら脳の中でドーパミンが分泌され、新しい刺激に反応することを脳も促進してくるのです。つまりこの進化は、狩猟時代には注意の分散が生存確率を上げていましたが、現代のスマホ時代においては重要度に関わらず過剰に情報に反応してしまう集中力の阻害効果の方が高くなってしまったのです。
通知がなくても集中力が奪われる
スマホ時代に集中力を奪うのは、通知が来た時だけではありません。ある実験では大学生を「別室にスマホをおいてきたグループ」と「サイレントモードでポケットに入れるグループ」の2つのグループに分けて、記憶力の実験を行いました。結果はスマホをそもそも持ち込まなかったグループの方が内容をよく記憶していたという結果が出ています。つまり、常時スマホを持ち歩いている中で「もしかしたら通知が来ているかもしれない」という疑問を抑え込むことにエネルギーが使われており、常に通知が来かねないスマホを持ち歩くこと自体が、私達の集中力を奪っているしているのです。
集中できない人間たち。我々は馬鹿になっているのか
下がる学習効率。タブレット学習の落とし穴
スマホの影響は学生だけでなく、幼児教育においても大きな問題になっています。ある研究では2歳になるまでの子どもにタブレットで教育させることは子供の発達の観点から大きな問題があると警笛を鳴らしています。
例えば、タブレット上で積み木を動かす行為を想像してみましょう。2才児の場合は、実世界で積み木にふれることで材質や大きさの理解や、指の運動を行うこととなり知能の発達に繋がりますが、それがデジタル世界だと発達しません。大人にとっては「デジタル化された積み木」ですが、子どもにとっては明確に刺激が少ない活動なのです。
またタブレット利用では脳内のミラーニューロンが活性化しない、という「ビデオ欠損(video deficit)」と呼ばれる現象も確認されており、学習効率が顕著に下がることが確認されています。(これに関しては別でをまとめてみたいと思います。)
2010年頃からIQが徐々に下がり始めている
ニュージーランドのジェームズ・フリンは人類の知能指数が過去100年間で上がり続けていることを1920年頃から、社会が複雑化していくなかで抽象的な思考が使われるようになり、そこを生き抜く人々は1世代(10年単位)でIQが上がっていっていたのが
しかし、そのIQ値が1990年を堺に頭打ちになり、2010年以降ついに下降傾向にはいりました。現在の傾向では10年でIQが6~7程下がるペースで推移しており学力においても大きな近く変動が起きています。2010年以降は世界的にスマホ利用率が上がってきた時期でもあり、上記の学習効率の悪化・デジタル時間の増加/運動時間の減少など浸透率が学力に与えている影響を無視することはできません。本書で、著者は必ずしもすべてがスマホの影響であるとは名言してはいませんが、精神科に通院した患者と話す中で、少なからずスマホに夜寝不足や繋がりが問題であると感じている精神科医が増えてきていると述べています。
人間の脳はスマホに適応できるのか?
スマホへの順応は生存確率と直結するのか?
本書が物議を醸しているなか、大きな論点になっているのは「スマホに人類が適応できればいいのでは?」というポイントで、Newspicksなどでもホリエモンがこうした点を指摘しています。生活様式の変化や技術革新が起こる中で人類が進化してきたことを考えると、この点では正直説得力があまりなく、反論内容も「プログラミングができるようになって生まれるのか?」といったちょっとずれた反論をしている印象でした。
おそらく、著者の反論ポイントとしては下記の2つかと思います。
- 人類の生存率を直接的に大きく変える場合は進化の可能性がある
- 進化は何世代にも渡って進んでいく
まず1,に関してはスマホとの付き合い方が中長期的な人生の幸福度・学力につながるといえど、人体がそれを生存率を高める要素と判断するのか、という点で、テクノロジーの発達が脳や体の構造を作り変える確率は小さいと考えられます。2,に関しては、もしスマホ時代に順応して我々の脳が進化するにしても、生まれた子どもが急にスマホに順応している確率はほぼ0に近くこうした変化は数世代にも渡って徐々に起こっていくため、我々の生きている内に脳の順応を期待するのは少し難しい氣がします。
脳の可塑性から考える変化の可能性
一方で、脳には可塑性という特徴があります。ロンドンのタクシードライバーを対象に実施した実験では、ロンドン市内の超複雑な道を記憶する過程で顕著に海馬が発達する、という必要に応じて神経が作り変えられるという研究もあります。こうした事例からも、スマホの使い方や反応の仕方を工夫することでうまく脳が発達する可能性も完全には否定できないのかもしれません。
本書がコレほど日本社会でも話題に上がっているのは、ひとえに人々の興味の現れなのではないかと思います。私自身、スマホの存在が当たり前のものとなる一方で、その距離感については改めて考えることがなかったですし、コロナウイルスでリモート勤務などが増えたことでより必要性。
また本書は翻訳された洋書ではありがちな取っ付きにくさはなく、新書で非常に薄く手に取りやすかったことも日本でベストセラー入りできた要因としてありそうです。スマホが悪いわけではないし、スマホを使っていても運動時間が維持されていれば問題がないのかもしれないどういった関係性を築いていくのかを考える土台にするには非常にいい一冊だと思います。