気がついたら一日が終わってた。
午前中に炎天下の墓地に数時間いただけでヘトヘトになり、午後は丸々爆睡。久しぶりに体力の限界までゲージを使い切った空っぽ0になり、こんな幸せな回復睡眠を毎日でもしたいと思う。
プラットフォームとお別れ
最寄り駅で電車から降りると、ドアの目の前で電車を待っていた男女の女性の方だけが乗り込んできた。男性は暑さにやられて、少し気だるそうにしながらも、ドアが締まり動き始めるまで笑顔で手をふっている。電車も行ってしまうと彼は改札まで降りて、定期券IC(おそらく)を改札にかざし歩き抜けていく。
愛おしい。改札の前でもお別れできそうなものを、プラットフォームまで一緒に歩いて過ごす時間。駅のプラットフォームで作られた感動的なドラマ・アニメシーンの数々は、おそらくこういった記憶に根付いたものなのだろうか。
インターネットサービスの「OO用のプラットフォーム」などというサービス文脈で日々聞きたくなくなっていく「プラットフォーム」の意味ではなく、純粋に「駅のプラットフォーム」と人々の思い出の話を延々と聞いてみたい。青春じゃないか。
留学とプレッシャー
「うわ~このひとめっちゃ英語ができそうw」
「いやまって、全く留学経験なかった~w」
カフェの隣で学生がはしゃいでいる。大変お久ぶりなノリだな~と聞き耳しつつも、背中に冷たいものを感じる。このノリは、、留学から帰った人たちにとっては恐怖のノリのように思う。留学すれば英語力が上がると信じて海外に飛び出した若者が、1年後には絶望的なまでに全然しゃべれない自分に改めて気がつく。一方で留学の実態を知らない周りの友人や後輩は、当然のように映画で耳にするレベルの流暢な英語を期待し、このミスマッチが不幸を呼ぶ。
本当はそれを受け入れた時が始まりで、そこから新たな英語学習の長い船旅が始まるんだけど、期待が大きかった分結構ショックが長く続いていた記憶がある。
それにしても英語ができそうな顔の人はたしかにいるのに、自分の周りだと外国の方に話しかけられるのは英語ができなさそうな顔の人なのはなんでなんだろう。同じグループで歩いていてもぽくない人程声かかるんですよね。
やかんのお茶ととコカ・コーラ
どうやらコカ・コーラからやかんの麦茶が発売されたらしい。
https://c.cocacola.co.jp/yakan/
信号待ちをしている時に、目の前の小学校高学年ぐらいの子どもがまじまじとこのペットボトルのラベルを眺めていて、「やかんってなに・・・?」って目をしていた。(たぶん、、いや絶対に)
やかんだと何がいいの・・・?って確かに私でもわからないし、なんか昔の人はそうしていた位の知識量。。。美味しさの秘密はやかんと茶葉のハーモニーなのか?ポットじゃダメなのか??
やかんで麦茶ってすごい昭和な文化な気がするのだけど、平成の後半に生まれた青年達はこれを見てピンと来るのだろうか?中年に差し掛かるにつれて、徐々に世代ごとに前提が合わなくなってくる感覚を体験し始める。
P.S 昔近所になべやかんという芸人が住んでおり、彼の赤い愛車にテニスラケットで傷をつけたことがあります。優しく許してくれて、金持ちは心も広いぜ、芸人も捨てたもんじゃないと子どもながらに思ったのを思い出しました。
一気に好感度をあげた彼の活躍を後日テレビで見た際、芸人として生き残るためにはなりふり構わず何でもやらなければいけないんだ、と世の厳しさを教えてくれた人でもあります。元気にしてるかなあ。