趣味と継続性
私は飽きっぽい。非常に飽きっぽい。そしてその飽きっぽさにすごいコンプレックスがある。
なんで自分は色んなことに目移りして、継続できないんだろう。なぜ他の人より熱意が持てないのだろう。そんなことを、特に社会人になり趣味がないことで空白の時間を過ごすことが増えてからは思うようになっていった。
ただそんな私もコロナになってからハマっている「将棋」は未だに興味が続いていて自分でも驚く位楽しんでいる。正確には、将棋自体というよりは将棋界・人間関係や偉人達を崇める、俗に言う「観る将」ってやつなのだが、これは飽きの代名詞のわたしとしてはかなり長続きしている趣味になっている。
よくよく理由を考えて見ると、一つはその趣味に関しての接点が複数作れているから、というのがある。
今の自分だと将棋系Youtuber(この中でも藤森さん・香川さん・森内さん・戸部さん・山口さんの5チャンネル登録)・将棋ゲーム・将棋の本・Twitterでの将棋ニュースと媒体だけでも複数の接点がある。こうして見てみると、ゲームがマンネリ化して数日やらなくても、その間にフォローしているYoutuberの誰かが更新していてそれを見るとか、rebuild.fmというポッドキャストでもたまに将棋の話しが出るから常に情報に浸っている状態になっている。
一方で飽きてしまった趣味を思い返すと1つの媒体をずっと見ていたケースが多くて、その趣味に飽きるというよりはなにかのきっかけでその媒体から離れた時に忘れてしまう体制だったことが多い。没頭型の人には「そんなん趣味じゃねえよ」と言われるかもしれないが、飽きやすさをコンプレックスに抱えつつ飽きない趣味が欲しい人は、是非とも一度飽きない体制を作ることを意識してみてほしい。
今ハマりかけているテニスも、このパターンを応用してみようと思ってスクール、壁打ちコートへの通い、友達を巻き込んで一緒にやる、Youtubeでレッスン系・プロ選手をフォローする、と接点を増やし始めた。実際スクールだけだった時に即効で飽きかけたのが、こういう面で馴染ませていくのが自分にはフィットしているのかもしれない。
テニスと壁打ち
さてさて、そのテニス。やってるような口ぶりでしたが今日の午前中に近所の壁打ちテニス場についにデビュー。初心者過ぎてボールが壁の遥か上空を飛んでいったり、隣の人のゾーンに侵入して謝罪したりと色々あったが、心温かい方々と出会えて爽快感あふれる気持ちのいい午前中になった。
何より、夏休み最終日だったからか小学生が早朝からテニスをしていて、自分より全然うまいし、ただひたすらにボールを打つ、ダメだった時に本気で悔しがる、この純粋無垢でポテンシャルしかない青年達を見ると自然とわたしも感化されてしまったよ。
実際にやってみて、相手が壁ということもあり、ボールのリターンが早くポジショニングが難しい。あと当然ではあるけどテニスって握力めっちゃ使うんだなと実感。途中からグリップが正しく握れずズルズル滑ってしまった。
当分は量だ、量で感覚を掴むんだ、と意気込んで望んでいたけど、当然ながらただやってるだけでは全然うまくなれる気がしない。自分のフォームを毎回見直さねば、、、と初心者のくせに量・質議論に単純な結論をつけようとしていた自らを叱ってやりたい。良くないぞ、そういうの。
行く前は正直やんちゃな青年に囲まれて「あの人くっそへたw」って言われるんじゃないかと被害妄想だけが広がっていってたが、行ってみると老人会・親子・小学生・社会人で私同様に素人の人など色んな人が優しく譲り合っていて、本当一歩踏み出す恐怖をどう軽視するのかが今の自分には必要だと実感する。今の所いい8月下旬を過ごしている気がする。